平塚駅周辺での用事のついでに昨日の事件現場見に平塚駅まで、そこらじゅうにテレビカメラがいたこと以外は
いつもどおりの平塚駅でした、当然やね
 
野次馬以外の何者でもないんですが、前にこういうことがありました
ヲタの友人の一人が異様にアキバのヲタを敵視するタイプでして、一月前の通り魔事件で、新聞に載っている『事件現場を写した写真』に映っている『事件現場を写メで撮る人たち』に怒り、なぜだか私にそれをぶつけてきたのです
彼曰く『野次馬は人の不幸を笑う最低の人種』だそうで、そのあたり異論はないんですが、私は一方的にキレ気味の正論をまくし立てられて穏やかにいられるほど人間できていませんで『なら事件現場に居合わせた人はどうすればいいのか、被害者の介抱を行う知識・技術・勇気のない人間は?あるいはそれらがすでに行われている場合私達はどうすればいいのか?』と聞き返しました
あまり頭の回転の速い子ではありません、彼はいうに事欠いて『スルーしろ!』と
そりゃないよ
人間、好奇心の生き物ですんで気になるものがあれば見に行きますし、画像一発のインパクトがあれば写真にだって撮ります(2年ほどまえに学校の目の前のスーパーで起きた火事の写真は未だに携帯に入っています)、なにより他人事
被害者の不幸を面白全部で写真に撮るような良心に乏しい行為を擁護するわけじゃあないですが、それらがない状態は異常と言えないでしょうか
警察の捜査活動や被害者の救助活動にはそちらのほうが都合がいいでしょうけれど
注目をあつめる渦中の人の心象を考えるべきとは思いますが、街中で血を流して倒れる人を無視してとおりすぎる何百人もの人、薄ら寒いものを感じませんか?
 
これまた数年前、私が中学生の頃になりますが
我が家のまん前でピザハットの配達バイクと乗用車が正面衝突する事故がありました
衝突の音を聞いて真っ先に外に出た野次馬気質の私と兄と母とで、完全に意識を失って痙攣している配達のお兄さんを脇によせたり、道路の真ん中に転がるバイクを端にひきずったりと救急車が来るまでやれそうなことをしたわけですが、仕事そのものは3,4人ですむことで、さらに集まった近所の方々(10人くらい)は手持ち無沙汰で眺めているだけでした、私としてはとくに思うことはないのですが、大怪我を負ったお兄さんの意識がもしあったならあの時どう思っていたのか、『こんな姿を見られて恥ずかしい』と思うか『俺がこんな目にあっているのにこいつらは面白がっているのか』と思うのか
そもそも彼をどうにか介抱しようとする私達を彼はどう思っているのか
 
事件・事故が起こればそこに野次馬が集まるのは仕方のないこと、そのうち被害者の事を思って沈痛な表情を浮かべる人は何人いるか、面白いことがおきたと笑う人はその何倍に上るのか
 
私の思う正直なところを書きましたが、どうすればいいのだろうかと思います
中々物騒な世の中になってきまして、いつ自分が事件事故の関係者になるか分かりません
自身が被害者でもなく救助者でもない、傍観者の位置に立ったとき
見るのか、見ないのか
私自身その瞬間に立ち会わなければ判断付けかねます